自分があると認識できるものは、そこにあるから、見えるから

それが当たり前だと思っていました。

 

でも、たとえ目の前にあっても見えない

聞いていても、聞こえていない

香っていても、匂わない(感じない)

 

そういうことが確かにある。

 

探し物は、「ない」と思っていると目の前にあっても気づかなかったり

何人かで同じ人の話しを聞いても、自分は聞いていない話しを他の人がしたり

その逆もあるでしょう。

言った言わないで揉めるのも、この感じでしょうか。

 

自分が車の運転をするようになると、自分と同じ車ばかりがやたら目に入る

それまで車にまったく興味がなかったのに、少なくとも自分の車だけはわかるようになり

こんなに同じ車が走っているのだと思ったことがあります。

 

洋服も、自分の好きなブランドは同じ洋服でなくても

これはこのブランド、と確かめなくてもわかったりしませんか。

 

ペットを飼うようになってから、やたら犬が目に付くようになって

世の中にはこんなにペットとして犬がいると知ったのも同じこと。

 

車が目に入るようになったのは、急に自分と同じ車が世の中に増えたわけではなく

いままで意識していなかったものを自分が認識するようになっただけ

 

洋服も同じで、他のものも自分が認識しているものだから目に入ってくる

認識しているというのは、ある と自分が思っているもの。

ある と思うから ある。

 

逆に、探し物は ない と思っているから ない(見えない)

 

これは物に限ったことだと思いますか。

 

はたと、気づいた。

自分が思うことも同じじゃないの!!

知っていたのに、知識としてあったのにすごく実感したのです。

 

他人を見て、考えたり思うこと、感じることは

自分が認識していることで、自分がそうだと決めている、思い込んでいるもの

誰かを見て、こんなことして「恥ずかしい」と思ったら

その「恥ずかしい」は自分がそういう観念を持っている

そういう自分がいるから、認識できること。

そうでなければ、恥ずかしいなんて思わないので気にもとまらない。

 

自分が他人を見て思うことは、自分の観念を見ている

他人がいないと自分を知ることができないということになります。

でも、普段そういことを考えている人はどれくらいいるのでしょうか。

そういう私も、人生いろいろで苦しく辛いことが続くようになって

メンターの鈴木弘美さんに出逢ってからいろんなことを知るようになったのです。

 

ただ、知るだけでは何も変わらなくて

知ったことを実践することで身に付いていく、自分に活かせるようになる。

 

他人を見て思うことは、自分の内面を鏡に映し出して見ているようなもの

ただ眺めるだけ、自分を知りたいからです。

自分で自分の全身を見ることはできないからです。

そこにいいも悪いもないのです。

鏡に映った自分という他人を判断しないということです。

自分の内面を知るため、確かめているだけだからです。

 

自分は他人がいないと確認できないのですね。

最初から一人だったら「自分」という意識があるのでしょうか。

みなさんはどう思われますか。

メンターの鈴木弘美さんのコラム、「縁起」「空」について

私もあらためて読み直します。みなさんもご一緒にご覧くださいね。

 

HP:「願いを叶える人間力」より

縁起とは何か、空とは何か。天と地がひっくり返るというその意味は

縁起とは何か 空とは何か。その2

縁起とは何か 空とは何か 3

 

 

 

 

 

 

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